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神野富田両家の寄進により、神富神明社が内宮として、五郷神社と二開神社が外宮として、明治二十八年二月十日に三社一体で創建されました。 下の写真は昭和二十八年の十三号台風の冠水時の写真で、神野三郎翁の頌徳碑が作られる前です。 神野三郎翁の頌徳碑は、この四年後の昭和三十二年に建立されます。
神富神明社は神野富田両家の寄贈ですが、神野金之助が「ジンノ」姓であったので、創建当初から「シントミ神明社」や「ジントミ神明社」と呼ばれていたそうです。 平成27年に国税庁に読みを「カントミ」と登記したことから「カントミ神明社」と呼ばれるようになりましたが、「カントミ」の根拠は分かっていません。 神野家の「カミノ」への改称が関係していると思われますが、名古屋本家の改称は明治40年頃で、ほとんどの住民が豊橋神野家を「カミノ」と呼ぶようになったのは昭和の終盤でした。
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